「客は**家の別荘に」プーシキン

そもそもロシアと日本の近代とは似ているのではないだろうか。
十九世紀から二十世紀にかけて、社交界などという空虚な場所を貴族的な空間として構築している小説を双方の国でよくみかけるのは何故なのだろう。
しかもそこに登場する若い女性が時代の象徴として見られつつも、必ずしもヒロインとして捉えられていないのは何故なのか。
ロシアはフランスを文化の象徴とし、日本は中国をそれとしてきた。
その象徴が性急的で擬似的なものに摩り替ったとき、破たんというイメージがいつの間にか急進的として移り変わってしまったのは、どちらにもアメリカという影がさしてきたからなのだろう。

中村白葉訳 新潮文庫