八月

月の輪。八月。夏休みは取れた。
家族でまた野沢温泉の山奥のキャンプ場に行く。
本当に山奥だからお客が少ないと思っていたのだが、今年はたくさんの人がいた。
それでもバンガローの全部はうまっていなかった。
二年目ともなると勝って知ったるものとなるが、今年は湖にカモが来ていなかったので、寂しかったように思う。
末娘が一番楽しみにしていたカモがいなかったので、ちょっと不安だったがそれなりに楽しんだようである。
それにしても今年は夏が来たという感じがほとんどしない夏だった。
異常気象といえばそうも言えよう。
八月はなんだか安部公房ばかり読んでいた。
なにかが気になり、でもその何かがわからずに夏が過ぎていった。
不条理らしい不条理。夏らしい夏。
そういうものが21世紀に入ってから、なくなったような気がする。
記憶だけの夏の区界。
まるで「ウ゛ァーミリオン・サンズ」か「グラン・ヴァカンス」の再現のようでもある。
数値海岸のような硝子体が降ってくるかのように終末が覗いている。
まるで暑くない夏なのだ。
異常気象というのは前世紀の遺物であり、いまは異常気象のなかに静穏がある。
昭和には街があったが、平成には都市と村しかない。
コマンドを打つのが懐かしくなって、CUIでLINXを使う。
画面を指で触るのが普通の時代になってから、あまり文章を書かなくなった。
ものを考えることも少なくなった。
時代のせいにしているけれど、歳を取ったということであり、物事が億劫になったということである。
前からづっと、江藤淳が自殺したのが不思議でならなかったのだが、いまはなんとなくわかるような気がする。
わかるつもりはないのだが、歳をとると違うの六感が立ち現れてくるときがあるのだ。
逢魔が刻、というのはそういう時なのだと思う。
いや、若くてもそういう刻に会う人は会うのだが、会わない人は一生会わない。
羨ましいと思う。
最近、若者より、中年の粗相に腹を立てることが多い。
若い方がマナーというものを知っているのではないか、と思うときがある。
車を運転していると特にそう思う。
自分勝手な走行をしているのは、だいたい、おじさんかおばさんだ。
必ず相手がよけるだろう運転をしていて、自分を主張する。
そんなところで主張してどうすんだよ、と言いたくなる。
夏はもっと過剰であり、自分勝手な行動など、その暑さで無効化してくれていたものなのに。
便利さと傍若無人はきれいに比例すると思う。
日本の宗教もなんでありではくて、ラマダンのような規律があったらよかったのかも知れない。
この先、「ウ゛ァーミリオン・サンズ」のような貴族的な区界は生じないだろう。
そう考えると加藤和彦も嫌になってしまったのだろうな、と思う。
とにかく暑くない八月が終わった。