ポール・コゾフ

ポール・コゾフのギターは特別な音に感じる。
サイケでもなくグループサウンズでもブリティッシュでもない。
いやブルースといいたいのだが、ブルースでもないような特別な音。(自分には)
yputube でアメリカでのライブの音を聞くとよけいに乾いた音がブルースではないと言いはる。
英国ブルースはやはりロンドンの濡れた音階がついて回るような気がする。
ロックとしてはあまりに原初的な音なのだろう。
いつも聞いているプログレの人工的な音ではなく、自然に出てきたギターの音に聞こえる。
こういう時代もあったのだと不思議に耳に染み入る。
エレキ・ギターの自然な音というのも変な話だが、いまは着色された音が多すぎる。
一度、時代はどんどん逃げていった時代もあったが、いまはどんどん経済や国家に回収されていて
シンプルなロックの音塊など、どこを探してもない。
そんな音を探している自分はいま、何が不満なのだろう。
自分で信頼できる音がなく、どんどん拡散しすぎているのが不満なのだ。
それは偏屈でしかないのだが、いまはそこで演奏している「人」しかいない。
不満といえば、21世紀が嫌いだ。
いまだに21世紀に生きているとは信じられない自分がいる。
21世紀というは科学が自然や地球を支配している世界であったのに、いまは全くその逆だ。
異常気象が常に人類を苦しめている。
輝かしい、平和な未来でないと21世紀とはいえないはずだ。
それがいかにも愚かしいことなのかをFreeは歌っている。
そういえば、ポール・ロジャースが歌を歌っているんだった。
まるで「わが谷は緑なりき」みたいな透き通ったシンプルな声だ。
英国というのは複雑な歴史を持っているから、フリーみたいなバンドが生まれたのだろうか。
酔っ払っているから気持ちいい。
でもサイケではないのだ。意志はここにある。
崇高でも底辺でもない。
ただ、ここにある。そこにある。ギターの自然な音がある。
Freeにはビールがよく似合う。いや、エールと言ったほういいのか、ただ単にいま濃いエールが飲みたいのか。
なぜこんな音楽が生まれたのだろう。
演歌というのは外国人にとってこういうものなのだろうか。
そういえばはじめて見たロックの映像はフリーだったような気もする。
山内テツがいる少しあとの時代のフリーだ。
かっこいい日本人がいるものだと思ったが、そうでなればNHKで放送などしなかっただろう。
でも自分がみたのはづっと後の再放送だったような気もする。
でもその頃は映像が珍しかったただけで、その時もいまもテツのベースが好きというわけでもない。
テツといえば、Heartbreakerか。
やはり、コゾフのギターのフレーズに泣ける。
こんなふうにギターが弾けたら幸せだろうなという音だ。
決してジミヘンとかリッチーとかではない。
なぜこんなに自然な音が出るのだろうと不思議に思う。
ほかにこういうギタリストっていたっけ?
プログレはみんな気取ってるし、ハードロックやヘビメタでもいないし。
いやプログレのギターは目立たないからいいのだし。
いま聞くと初期のピンク・フロイドと同じ音質だったりするし、ナイスの時代的な音とも似ている。
やはり英国ブルースというなにかが音をつくっているのだろう。
そういえば、Badcompanyは嫌いだった。