2021-0510-0515
2021-05-10~0515
夕食
10(月)エビチリちくわかさ増し
11(火)タコライス --水気が無くなるまで炒めるのに30分かかる
12(水)サバ 餃子
13(木)煮物 サラダ
14(金)麻婆豆腐 チキンカツ
15(土)鶏肉タンドリーチキンアスパラシメジも焼く
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村上春樹『騎士団長殺し』 第2部「遷ろうメタファー編」
読み進むうちにこれは「ねじまき鳥クロニクル」の続編だという思いが湧き上がってきた。
どちらの作品も「穴」を通して、現実と非現実を結ぶ通路が開かれる。
そこから本質的に物語は異貌の世界へ変容していく。
どこかで村上春樹も「ねじまき鳥クロニクル」は書いても書いても終わらない、という話をしていたような記憶がある。
そして「騎士団長殺し」の私とユズとの再会は、「ねじまき鳥クロニクル」での僕とクミコの離別からの遠い距離がようやく繋がり、物語の円環が閉じたような気がする。
フランケンシュタイン対地底怪獣
「フランケンシュタイン対地底怪獣」あるいは「フランケンシュタイン対バラゴン」
はじめて見たが、そもそも人間が素手で怪獣と闘う、というやり方もあったのか、という素直さにびっくりする。
これは西洋文学の伝統的なアラビアンナイトのカリカチュアでもあるし、ガリバーの踏襲でもあると思う。
そもそもアメリカ版映画でのフランケンシュタインは「ガルガンチュア」と呼ばれている。
あのラブレーゆずりなのである。
たしかにこの映画でのフランケンシュタインはいつでもお腹を空かせている。
なんでも飲み込むガルガンチュアらしく、フランケンシュタインの手は切り落とされても、自律して生命活動を維持できるのだ。
いま見るとこの映画は適当ないい加減さに満ちているが、それは敗戦という非業な影が押し出していることに嫌がうえでも伝わってくる。
そこにあるのは戦争を仕掛けた国であるにも関わらず、対戦国のことがまったくわかっていないことが、バラゴンという謎の怪獣を通して非難しているのではないかと思えてくる。
竹槍で戦おうとしていた日本人は、アメリカ人をバラゴンのような不可知な怪獣をイメージしていたのではないかと思う。