シベリヤの旅

「シベリヤの旅」チェーホフ
有名なのは「サハリン島」だが、その旅程でシベリア横断したときの雑記のようだ。
雑誌への掲載文らしいが、シベリアのまんなかあたりのエニセイ地方の記録しかない。
目的地であったサハリンに着くこと、そしてその苛烈さに当てられて、途中の旅行記が書けなかったのかも知れない。
この時代、1890年の旅行、そしてシベリア地方は悲惨を極めている。
チェーホフより少し前、1878年明治11年)に、榎本武揚サンクトペテルブルクから、ロシアの実情を知ることを目的にシベリアを横断している。
その手記も残されているが、チェーホフ同様に過酷な旅を書いている。
その旅のなかには逆境に生きる人々の姿が色濃く描かれている。
この時代の悲惨さは20世紀になって書かれた「怒りの葡萄」とも通底している感覚がある。
流浪というのは旅とは違う。
旅行者には帰る場所がある。
しかしそこに住む者には目指すところはない。
それでも離散しなければならないとき、人は流浪の民となる。
シベリアもアリゾナにも流浪の果てに楽土はなかったのだ。