電車と風呂 寺田寅彦

「電車と風呂」寺田寅彦

大正時代に既に満員電車というものが日常的に起きていたことに驚く。
こういうエッセイがあること自体、昔から東京は人が多かったのだと思わさせら
れる。東京が江戸時代から大都市だったと言われる所以である。
「こう考えると日本のある種の過激思想の発生には満員電車も少なからず責任が
あるような気がする。」
ストレスが政府を転覆させるのである。
いまだってそうなったっておかしくなくて、微妙な天秤の上にのかっている。
「銭湯の湯船の中で見る顔には帝国主義もなければ社会主義もない。もし東京市
民が申し合せをして私宅の風呂をことごとく撤廃し、大臣でも職工でも 皆同じ
大浴場の湯気にうだるようにしたら、存外六(むつ)ヶしい世の中の色々の大問
題がヤスヤス解決される端緒にもなりはしまいか。」
この理屈というか、ローマの衰退を引用しているように堕情に傾くかもしれない
けれど、いまはこれが最上の施策と感情移入してしまうほど、いまに通 じる問
題の視点を見せてくれる人である。寅彦さんは。