「いかに放埓な厭世主義者であっても依然として、悪しき目的のあることを信じて、世界の事象に少なくとも一つの目的を、つまり没落を設定する。」フリーデル

そうなのだ。
若い頃に目的を持つ人生に凄く疑問を持っていたのは、こういうことだったのだ。
その頃はこの雰囲気をうまく言葉にできなかった。
スピノザを読んでもわからなかったが、当時感じていたのは、高度資本主義とかなんとかいっても何らかの意志や目的を感じられたし、それは不快なものだった。
それはまったく自由というものですらなかった。
「意味」という言葉が示すものは、自らが課す桎梏のようなもので、目的というのはどこかにまやかしや傲慢さがあった。
まったく動物的な世界だったのだ。