【汽車旅放浪記】

鉄道趣味があったという(オタクというほどではない)、著者の文学趣味的ローカル線旅行記
「楽しい汽車旅」、「宮脇俊三の時間旅行」、「「坊ちゃん」たちが乗った汽車」の三部構成となっている。
「楽しい汽車旅」は、主に昭和の文学者と国鉄各線のつながりを綴ったものだ。
上越線では、萩原朔太郎川端康成坂口安吾といった文学者の作品に描かれている当時の鉄道光景や駅舎の姿を著者の国鉄への思い出をからませながら、語られている。
千葉の久留里線小湊鉄道など、その成り立ちを歴史的な経緯から綴るさまは割と司馬遼太郎ぽい。
面白いのは、志賀直哉の父、志賀直温は私鉄だった総武鉄道の取締役だったという。
彼はその後、総武鉄道国鉄へ売却して巨利を得たらしい。
志賀直哉はお金持ちの坊ちゃんだったのだ。ふ〜ん。
文学は仕事ではなく、趣味であるというのはひとつの見解ではある。

筑豊本線では、松本清張林芙美子を登場させ、津軽鉄道では大地主としての太宰治の姿を通して、懐かしい戦後昭和の風景を醸し出している。
知らなかったのは、宮沢賢治樺太を旅したことがあり、大泊から栄浜までの99.6キロを四時間かけて旅している。
そこで乗った樺太東部本線があの「銀河鉄道の夜」のイメージを作ったという。
ちなみに樺太は、王子製紙の島と呼ばれていたらしく、その当時建てられたパルプ工場はソ連崩壊後も稼動を続けて、つい最近まで現役であったらしい。
日本の技術が凄いのか、ソ連の酷使力が凄いのか。

宮脇俊三の時間旅行」は、鉄道紀行の大御所、宮脇俊三の旅路を追ったもの。
とくに1978年に発表された「時刻表二万キロ」と2004年にNHKBSで放映された「列島縦断鉄道12000kmの旅」とを比べ、その相違から浮かび上がってくる平成という時代の描写が面白い。

「「坊ちゃん」たちが乗った汽車」は、夏目漱石の汽車旅として松山やスコットランドへの長い汽車旅を想像している。
それぞれに鉄ちゃんが書く旅行記とは違った、戦前から戦後へと日本の辿った道を思い描きながら鉄道という装置を語るその姿は、やはり司馬遼太郎のあの連綿たる旅行記を思い出させる。

日本人が愛してやまない鉄道。これまで夏目漱石松本清張宮脇俊三など、多くの作家がその作品に登場させてきた。『三四郎』の山陽本線から『点と線』の鹿児島本線まで、作品の舞台となった路線に乗り、調べ、あの名シーンを追体験。路線の歴史のみならず、背後に隠された作家たちの思いや、彼らと鉄道との知られざる関係を辿る。文学好きも鉄道好きも大満足の時間旅行エッセイ。

汽車旅放浪記関川夏央 新潮文庫